田中父子の川中島の大激戦の様子をしのび・大合戦の終わった後の八幡原一帯の情景を歌った和歌をしるしたもの
田中月亀翁は本名亀太郎、現長野市更北の人で、松代藩主真田幸教の仕え、学問に熱心で、歌道に長じ、その子亀作も亀守と号し、風雅の道で知られていた。この歌碑は、田中父子の和歌をしるしたもので、表の和歌は、川中島の大激戦の様子をしのび、真の和歌は、大合戦の終わった後のここ八幡原一帯の情景を歌ったものである。
(表)跡しのぶ 川中島の朝あらし いぶきのさ霧 おもかげに見ゆ 月廼亀麿
(裏)月影の入りにし後も ほととぎす ひとこえ残す 小島田の里 月廼亀守