首塚

首塚

この塚は以前は屍塚(かばねつか)と呼ばれ、永禄4年9月10日の戦いの後、武田方の海津城主高坂弾正が激戦場となったこの辺り一帯の戦死者(6000人余人)の遺体を敵味方の別なく集め、手厚く葬った塚の一つである。
これを知った上杉謙信は大変感激し、後に塩不足に悩む武田氏に対し、「われ信玄と戦うもそれは弓矢であり、魚塩にあらず」と直ちに塩を送り、この恩に報いたといわれている。
ここから東南へ約180メートルのところにも同じく大きな首塚がある。昔はこの付近にいくつもの首塚があったが、現存する大きな塚はこの二つだけであり、小さな塚は各所に点在している。

首塚の説明札
Copyright © 2006 川中島古戦場〜武田信玄・上杉謙信両雄激突の地〜. All rights reserved