土どめに自生の槐の杭を根を上にして打ち込んだのが芽を出し、約400年を経てこの巨木に成長したものと伝えられる
山本勘助等の進言による「キツツキ戦法」の採用を決定した武田信玄は、永禄4年9月9日夜、ここ八幡原に上杉軍狭撃の陣地を構えた際、この場所に土塁を積みかさね、矢来を組み、盾をはりめぐらして本陣をおいた。このとき土塁の土どめに自生の槐の杭を根を上にして打ち込んだのが芽を出し、その後約400年を経てこの巨木に成長したものと伝えられる。周囲に低い土塁のあとが見えるのは、信玄本陣を示す桝形陣形跡である。